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2014年7月16日 (水)

紙板

10月の展覧会「ほどくかたちよむこころ」古川美術館為三郎記念館特別展の作品制作をしています。

作品の支持体は木目が水の波に見立てられるようなもの、、、と考えた時に、ふと手漉和紙を干す紙板を思い出しました。
漉いた紙を天日に当てて乾かす為に使われる松の板です。
「ぼろぼろで処分しようとしているような板があったら譲ってください」といつもお世話になっている吉野の福西和紙本舗さんに連絡したところ、「宅配便で送りますよー」とお返事をくださいました!
そして無償で超高速で手元にとどけてくださったのです!
本当に本当にありがとうございます!
2100mm×340mmの大きくて重い板でびっくりしましたが「これは軽い方ですよ♪」との事。
こんな長くて重い紙板を何十枚も毎朝軒先から庭へ広げ、漉いた和紙を貼り乾かし、にわか雨には慌てて仕舞うことを昔からずっと続けられていると思うと頭が下がります。
大切なものを作品として使わせていただきます。
一度ゆっくり洗ってみました。
水で洗いながらじっくり見てみると、側面は皮を剥いだままのぎりぎりいっぱいの木の幅が使われていました。
大きくて長い紙板は使い込まれて角が丸く虫が食っているところもありましたが、紙を乾かす部分は節目や亀裂には和紙でそっと上張りされ、そして繰り返し貼っては剝された紙の繊維が木の繊維に浸透して表面はうっすら白くてつやつやととてもきれいでした。
どこまで洗い流せばいいのだろうと考えながら洗っていると、ふと学生時代から耳にタコができるほど聞いた「素材に心を添わせ耳をすますこと」という言葉を思い出しました。
今までその言葉は頭ではわかっていたし、和紙をそっとほどいたり、ご飯粒を一粒一粒見つめていると時々はそのように感じている気がしていたのです。
何十年毎日使い込まれて痛んだ紙板を洗っている今、その言葉は畏敬の念と共に立ち上がってきました。
福西さんが何代にも渡って守られている伝統的手漉和紙。
今まで出来上がった和紙に対して自分がどうにかしてこれを作品にしたいと思っていたのだと思います。
でもそうじゃなかった、私の手が加わることで誰かに何かを思い出してもらえるように、誰かから誰かに橋渡しするように一度時間と場所を作る。そう出来るようになりたい。
なんかこの年になってやっと少しだけ気がつきました。気がついた気がしただけかもですが。コンセプトを気にし過ぎて素直な自分を忘れていたことには気がつきました。
少し嬉しくなって、にやにやと玄関に入ったところ、ニヤけた黒い自分の顔が鏡に映っていました。
ああっ!
日焼け止めクリーム塗るの忘れてましたよおおー。

2014年7月 4日 (金)

紙を巻いたロウソク Memento ignis

昨日ワークショップで和紙を周りに巻いた蠟燭を作りました。

Photo_3

蝋燭の芯が長いままなのでこの写真ではなおさら心配ですが、火を灯したらその後紙に火が付きそうで目が離せません。

以前ガラスケース入りのアロマ蠟燭をつけて目を離したすきに出窓を焦がし、想像力が弱ってるなあと思いました。

この蠟燭は火について想像するには良いかもしれません。たはは。

「火を思う」

メメントという言葉を思い出したので、ラテン語を素人調べしました。

「Memento ignis. 」で良いのかな。

奇麗な水をたくさん使って出来上がる和紙ですが、乾くと火と親和性が高く、あっという間に燃えてしまいます。和紙は丈夫で、そして儚いものですね。

2014年4月30日 (水)

料紙。具象と抽象

国宝「本願寺本三十六人家集」の古筆切のうち、本願寺が元あった摂津石山寺にちなんで名付けた「石山切」平安時代の歌集(伊勢集、貫之集)。

この料紙は単なる装飾では無く石灰岩系山のマチエールからの具象だったのだなぁと、本日山行きしながら気がつきました。角ばって割れる小石が砂子にそっくりです。岩の割れ目、松葉。小さなモミジは落ち葉じゃなく芽が出たところ?(OO)と納得。
もっとリアルな場所が沢山ありましたが、登山中心でヒーハー言っていて、いいかげんな写真ばかり、、、。
平安料紙のこの周辺もう少し探求してみたいです。

2012年12月 5日 (水)

Yorikoyoneyama

2011年4月20日 (水)

紙の温度

紙の温度 とは、

名古屋の熱田神宮のお隣にある紙専門店です。
店名の通り、紙には人肌のような温度があることを教えてくれるようなお店です。
社長さんは店名の通りの温かな人柄の方です。

百聞は一見にしかず。
世界には、こんなに紙があるものなのか・・・と驚くこと間違いなしです。

これだけの日本の紙が揃うのは、日本橋の小津和紙さんか、ここか。
(不勉強のため他にもあるのかも知れないですが)全てを見ようと思ったら一日仕事だと思います。
これだけの紙を集められたその情熱に畏敬の念が湧きます。
そして日本にはそれだけ沢山の個性ある紙がもともとあったということに気が付きます。

各地方によって楮の種類自体が違い、気候、水、用途、それぞれによっても違う、本当にその家によって違うくらい沢山の種類があったけれど、年々需要とともに少なくなって、古来の製法で漉いている和紙も今では、なかなか市場に出回らない貴重品になっています。

私も初めて本物の和紙に出会ったのはサロンギャラリー余白という和紙コレクターのオーナーさんのギャラリーでした。普通の文具店では見たことも無い紙でした。絹のような艶があって、人の肌のような質感もありました、みんな同じセルロースですもんね。

そんな豊かな種類の紙でいろいろ制作してみたいと思います。

以前ここで大きさは一定と書いてしまいました。
勉強不足ですみません。訂正いたします。

2008年6月 4日 (水)

こんなかんじ

Kyoto_064 和紙で作った作品です。

薄い和紙が自立しています。

繊維の長い和紙は繊維を解くことで複曲面になり、衣装のようにも、人の身体のようにも、抜け殻のようにも見えます。

物自体の特徴はそんなふうです。

作品の特徴は見ていただくと良くわかるのですが。

言葉にすると・・・。

紙には裏と表がありますが、どちらが内側でどちらが外側なのでしょう。

人でいえば、何処から内で何処から外でしょう。

相対するものともの、ものと空間の境目はどこでしょう。

早い話、その境界は無いのかもしれませんが、物と物、対比するものの境のぎりぎりのところにはバランスという力が働いて、そのものの形を刻一刻と留めている気がするのです。

その形を常々表現したいと思っています。

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