夏になるとふと思い出す三木成夫先生。
生物学の授業と保健センターの先生として、学内の学生の心を緩く太くつかんでいた。
その絶大な人気に比べると、ご本人の佇まいはたいへんほっそり地味で静かで、大浦食堂の前を横切る時も気配を消す忍法を使っていた。きっと。
太陽のリズムで生活できる人は毎朝同じ時間に起きられるが、月のリズムに影響を受ける人は毎日少しずつ起きる時間が遅くなって、遅刻をしたり夜に元気になったりするという、私達にたいへん都合の良い学説を使って元気付けてくださるので、「保健室」には相談に乗ってもらう学生が静かに出たり入ったりしていた。
卒業してまもなく、三木先生の講演会を聞くため友人と出かけた。
講演の後、私達何人かの学生に自然塩の話を嬉しそうにしてくださってから、帰途についた。
夏の暑い日だった。
たまたま、新宿駅までご一緒できた私は、電車の中で持っていた作品ファイルを見ていただいた。
本当に未熟な作品ばかりだったのに、三木先生は良い所を指摘して励まして下さった。
新宿駅で三木先生は電車からホームに降りられた。
そして思いがけない事に、込み合った新宿駅のホームに立ち止まって、私の乗った電車を微笑みながらずっと見送ってくださり、向かい合って遠ざかった。
スローモーションのような一瞬、おそらく先生にとって私は何百人何千人の学生の一人なのに。
強く心を打たれ、胸が熱くなった。
それから長い時が過ぎ、時々思い出すそのシーンは私にとって「種が蒔かれ、水をやり、育っていくもの」だった。
おっちょこちょいな自分が色々な人たちに迷惑をかけ、自分について悩み、家庭を持ち、子育てをして、それでも細く制作を続けてきたのは、三木先生のおかげだと思う事がある。
そして、最近ふと思った。
三木先生の研究室=保健室にて、私にしろ学生の顔をみると、遠い祖先の面影が見えるとおちゃめな顔でおっしゃった。
三木先生にとっての祖先とは人だけでなく、草食動物や肉食動物、魚類、はてはアメーバや植物までを言う。
そうなんだ。
三木先生が見送ってくださったのは、私じゃない。私を通して見える遠い祖先、今は存在しないけれど色々なところにまぼろしのように現れる、繰り返し繰り返される生の営み、すべてをつないでいる「おもかげ」だったんだ。原形を持ち、メタモルフォーゼしてきた私。私イコール草食?肉食動物であり、魚類であり、アメーバであり、植物でありそして、三木先生ご自身でもある・・・。
というと、三木先生が科学者なのに限りなく思想、宗教的な感じなのだが、生物学の授業に「老子」だったしなーっとこの夏も三木先生の面影を偲ぶのでした。
植物と動物と人。人体に刻まれた生命の歴史。人が人に向かい合うという事。「ゆっくりでいいからこの事をもっと深く考えるんですよ」と三木先生の面影が今も私を励ましてくださるんでした。
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