Absence in existence

  Absence in existence

  I am intrested in the "boundaries" of objects including the human body.
For example, When we talk about the "outside" of human body, do we mean just the surface? Can you identify the  surface of a human body in anyway?
Where is its border?
  In short, maybe there are no boundaries. But I think at the very margin of those boundaries, there exists a power which connects objects together which can be defined as "balance". I have always wanted to visualize this "balance" into some kind of form.

  I feel that the exitence of things can be defind by being strongly aware of boundries and to express it.

Yoriko Yoneyama

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幸せな時間

皆さんそれぞれ幸せな時間をお持ちですよね。

うちの息子その1は夜ベッドの中で靴下をぬぐときが幸せなんだそうで、中学生ごろまではよく嬉しそうに「しあわせーっ」って言っていました。まったくしあわせなヤツです。

息子その2は雨の音。部屋で雨の音を聞いていると心がきゅーっとなるほどしあわせなんだそうで。こちらもお金がかからないのでありがたいヤツです。

そういう私も小さい頃から持っている幸せな時間があります。
それは寝る前にいろいろ考える事。

今は、作りたい作品を細部までありありと思い浮かべる事が一番しあわせ~なときです。
子育てで作品作りの時間が無かった頃は特にいろいろ考えました。

そして嬉しい事に、小さい頃からそうやって思った事はみんな実現しています。

お金もかからず、誰にも迷惑がかからず、嬉しくて幸せな時間。

そのことを考えるのも幸せな時間です。

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夏のおもかげ (三木成夫先生)

夏になるとふと思い出す三木成夫先生。

生物学の授業と保健センターの先生として、学内の学生の心を緩く太くつかんでいた。
その絶大な人気に比べると、ご本人の佇まいはたいへんほっそり地味で静かで、大浦食堂の前を横切る時も気配を消す忍法を使っていた。きっと。

太陽のリズムで生活できる人は毎朝同じ時間に起きられるが、月のリズムに影響を受ける人は毎日少しずつ起きる時間が遅くなって、遅刻をしたり夜に元気になったりするという、私達にたいへん都合の良い学説を使って元気付けてくださるので、「保健室」には相談に乗ってもらう学生が静かに出たり入ったりしていた。

卒業してまもなく、三木先生の講演会を聞くため友人と出かけた。
講演の後、私達何人かの学生に自然塩の話を嬉しそうにしてくださってから、帰途についた。
夏の暑い日だった。

たまたま、新宿駅までご一緒できた私は、電車の中で持っていた作品ファイルを見ていただいた。
本当に未熟な作品ばかりだったのに、三木先生は良い所を指摘して励まして下さった。

新宿駅で三木先生は電車からホームに降りられた。
そして思いがけない事に、込み合った新宿駅のホームに立ち止まって、私の乗った電車を微笑みながらずっと見送ってくださった。

スローモーションのような一瞬、おそらく先生にとって私は何百人何千人の学生の一人なのに。
強く心を打たれ、胸が熱くなった。

それから長い時が過ぎ、時々思い出すそのシーンは私にとって「種が蒔かれ、水をやり、育っていくもの」だった。

おっちょこちょいな自分が色々な人たちに迷惑をかけ、自分について悩み、家庭を持ち、子育てをして、それでも細く制作を続けてきたのは、三木先生のおかげだと思う事がある。

そして、最近ふと思った。

三木先生の研究室=保健室にて、私にしろ学生の顔をみると、遠い祖先の面影が見えるとおちゃめな顔でおっしゃった。

三木先生にとっての祖先とは人だけでなく、草食動物や肉食動物、魚類、はてはアメーバや植物までを言う。

そうなんだ。

三木先生が見送ってくださったのは、私じゃない。私を通して見える遠い祖先、今は存在しないけれど色々なところにまぼろしのように現れる、繰り返し繰り返される生の営み、すべてをつないでいる「おもかげ」だったんだ。原形を持ち、メタモルフォーゼしてきた私。私イコール草食?肉食動物であり、魚類であり、アメーバであり、植物でありそして、三木先生ご自身でもある・・・。

というと、三木先生が科学者なのに限りなく思想、宗教的な感じなのだが、生物学の授業に「老子」だったしなーっとこの夏も三木先生の面影を偲ぶのでした。

植物と動物と人。人体に刻まれた生命の歴史。人が人に向かい合うという事。「ゆっくりでいいからこの事をもっと深く考えるんですよ」と三木先生の面影が今も私を励ましてくださるんでした。

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夏の雲

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夕方の夏雲。

車で移動中に見つけて大きくて超きれいだったので、慌ててスーパーの屋上駐車場に上った。

駐車して屋上に上がった時にはかなり暗くなってしまっていた。

ざんねん。

雲の中で何度も稲妻が光っていた。

夏山が呼んでいる。

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DEMEL

DEMELは美しいですね。

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食べちゃえばなくなるものがなぜ美しいか?

ただお茶をいれて飲むことや、

一瞬の花の命をめでるのと一緒ですかね。

だからデメル、であるわけないデアル。

こなつはおこぼれに預かろうと、テーブルの下にスワル。

ごめん、アゲルわけないデアル。

ガサツな毎日に舞い降りた、うたかたの美は写真に残すにカギル。

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手提げ袋も台形でハンドバックみたいなので、写真をとっとくデアル。

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げえてさんのいうとおり

ある日、とりたての長い茎のにんにくの束を買って、吊るして干しておりました。

その中の一本には茎の先に芽のようなものが付いておりました。

買った時は緑色の小さな芽でありました。

ところが、何日かして・・・・。

ふと見ると、あらあら不思議、芽だとおもっていたものはにんにくだったのです。

にんにくの茎の上にまたまたにんにくが。

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得しちゃった。

今日はペペロンチーノを食べましょう。

・・・・・・・・・・。

じゃなくて、にんにくは土中の根っこのはず。
最初は芽だったし。
(だったのか?よく見てなかった?緑色は覚えてるけど)
でも、ご安心を。
ここで思い出したのは、ゲーテの「貫性の薔薇」の図。
もちろん、三木先生の本でして。
植物のメタモルフォーゼ。

植物の成長点で、何かが起こった。
成長して芽になるか花を咲かせるかしようとしていたにんにくは、
急に薄暗い風通しのよいところに置かれて方向を転換したのですね。

げに植物とは、じっとしているように見えてダイナミックに生過程を営んでいるのでした。

そういうわけで、今日はペペロンチーノをたべましょう。

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夏の空

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気がつくと空には夏の雲。

見上げると高く、高く・・・首いってーっ。

薄い紙を自立させる事はじつは難しい。

風にそよぐ薄紙のはかなさと自重の関係。

薄くてはかなく見えるものも意外とそれ自体重いのですね。

銅の網を自立させた作品の時も同じ。

ぎりぎり安定させる高さで作ったけど、寒天みたいにふらふらしていた。

重力に抗って立つ。

皮膚1枚で立つって難しいですね。

そりゃそうだ。

でもそれが好き。

一歩一歩進んでいこう。

上を向いてるうちに前向きな気持ちになるんでした。

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紅茶とお菓子

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先日 亀山さんからいただいたローズティー。
薔薇の香りと綺麗な色で飲むと元気が出てくるのであります。

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亀山さんはお子さんを育てながら展覧会の企画プロデュースをなさっている人です。

office tre punte は 亀山さん、神森さん、芝さんの3人で時にはがっちり、時には緩やかにつながって色々な企画をするグループです。(あいちトリエンナーレでお世話になって以来、私もゆるやかにつながりたいーと密かに思っている技あり3人組)メンバーの一人、亀山さんは食に関するセンスも抜群です。
時々亀山さんのブログへお邪魔しては身体にやさしいモノコトによだれをたらしています。

で、その亀山さんにいただいたモロモロは、やはりうまかった。

その上思いがけず、ご近所で手に入るものでした!

たっぷりビタミンが摂れそうな気がして、このところ夜昼お世話になっている紅茶と、

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coffee Kajita

くるみのお菓子。
やさしい甘さと香ばしさ。

パッケージも素敵です。

こちらのお店も我が家から比較的近いのでした。

ここに暮らして十数年、まだまだ知らない事ばかり・・・・・。

ありがとう~亀山さん。




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バラが咲いた レモンの花も

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マダム・アルディ

白い花弁の中に緑の花芯がアクセントになっているオールドローズ。

花も好きですが、花が咲くときに丸い葉の中で緑の濃淡が際立ってくるところが美しいと思います。

薔薇好きの人にとても人気があるのもうなずけます。

にわか薔薇ファンの私でも、つぼみが膨らんで咲いて散るまで、毎日じーっくり微に入り細に入り観察してしまい、それでも足りないと思う薔薇です。

綺麗だーーー やっぱし。

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ついでにレモンの花もたくさん咲きました。

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ケニアの風

5月29日(日)にアフリカに浸ろうと思います!!

学生時代、マチョイネ:西江雅之先生の授業を受ける前、私にとってケニアはサファリで動物に会う場所くらいの知識しかなく、現実の生活が営まれている都市だという事をあまりわかっていませんでした。西江先生のおかげでアフリカは生き生きした場所になり、実際に行って見るとナイロビの都市の大きさに驚き、カッコいい店員さんの耳たぶに大きな穴が開いていて、伝統的な生活と都市生活の共存をリアルな事実として感じました。
レコードを買おうと思って入った店で試聴させてもらうと、店員さん全員ノリノリで曲を聴きながら踊っちゃうような陽気なところもある場所でした。

たったの10日間、表面しかわかっていなかったと思います。

その後時間が経ち、ケニアは遠い国になりつつありました。
大統領選のニュースを見ても、ああ大変だな位にしか感じませんでした。

最近ふとした偶然から手にしたチラシ。

KENYAの風 In NAGOYA VOL.3

「マサイ族が名古屋へやって来る!!
マサイからのメッセージと躍動感あふれるアフリカ音楽!!」

開催日 : 2011年5月29日(日) 

開場 18:00   開演 18:30   閉演 21:00(予定)

料金  : 前売1,500円(当日2,000円)  大学生以下1,000円  中学生以下、無料

会場  : 愛知芸術劇場 大リハーサル室  (愛知芸術文化センター内地下2階)
住所 名古屋市東区東桜一丁目13番2号 TEL(052)971-5511
        東山線または名城線「栄」駅下車、徒歩3分
(オアシス21から地下連絡通路または2F連絡橋経由)
        (お車でお越しの際には、地下駐車場をご利用ください。
         お支払いは各自でお願いします。)

出演  : ジャクソン・オレナレイヨ・セイヨ 永松真紀夫妻  早川千晶 大西匡哉 近藤ヒロミ  

主催  : KENYAの風

後援  : JICA中部

「マサイ・サバンナ・大自然・伝統的文化・貧困層・スラムの生活」
アフリカは様々な問題を抱えている。マサイの生活・掟、戦士時代への試練、
ここ数年の間に地球温暖化の影響、変化していく
マサイの暮らし未来への取り組みをストレートな思いをジャクソンさんが伝えます。

スラム街で暮らす子どもたちの生活環境「生い立ち」「願い」「夢」
子どもたちと腹の底までホンネで付き合ってぶつかり合って語り合って
爆発的なエネルギーで未来へ向かって歩き続けている早川千晶さんが伝えます。

パワフルなタイコの音は聴きに来た全ての人をしびれさせる。
躍動感あふれるアフリカ音楽を大西匡哉さんが届けます。

深く優しい音と音色は、魂を浄化し、暖めてくれるような癒しの音楽を映像を交え、
近藤ヒロミさんが届けます。

楽しみで、思わずケニアの風まさよしさんに連絡を取りました。
偶然にも出演者の近藤ヒロミさんは学生時代の友人!
近藤さんは素敵な人で、何しろ友人達からターザンの愛称を持つほどの自然体。
昔の友人をたどりながら、今のケニアの事を紐解いていきました。

私は今のケニアの事を何も知らない事に気が付きました。
今から少しずつ知りたいと思います。

そして、29日当日の躍動する音!ジャクソンさんの言葉と可愛い子供達の声(おそらく)!
泣くかもしれないな。

でも、素直に自由に聴きたいです。

日本に届いたマゴソスクールの子ども達からの
日本応援歌。

Asante sana!MAGOSO kids!!

http://youtu.be/0L5W5CYkbR4





 

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紙の温度

紙の温度 とは、

名古屋の熱田神宮のお隣にある紙専門店です。
店名の通り、紙には人肌のような温度があることを教えてくれるようなお店です。
社長さんは店名の通りの温かな人柄の方です。

百聞は一見にしかず。
世界には、こんなに紙があるものなのか・・・と驚くこと間違いなしです。

これだけの日本の紙が揃うのは、日本橋の小津和紙さんか、ここか。
(不勉強のため他にもあるのかも知れないですが)全てを見ようと思ったら一日仕事だと思います。
これだけの紙を集められたその情熱に畏敬の念が湧きます。
そして日本にはそれだけ沢山の個性ある紙がもともとあったということに気が付きます。

各地方によって楮の種類自体が違い、気候、水、用途、それぞれによっても違う、本当にその家によって違うくらい沢山の種類があったけれど、年々需要とともに少なくなって、古来の製法で漉いている和紙も今では、なかなか市場に出回らない貴重品になっています。

私も初めて本物の和紙に出会ったのはサロンギャラリー余白という和紙コレクターのオーナーさんのギャラリーでした。普通の文具店では見たことも無い紙でした。絹のような艶があって、人の肌のような質感もありました、みんな同じセルロースですもんね。

そんな豊かな種類の紙でいろいろ制作してみたいと思います。

以前ここで大きさは一定と書いてしまいました。
勉強不足ですみません。訂正いたします。

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それどころじゃないけど展示

東北福島の地震津波災害や福島原発の経過で胸が痛むけれど今自分がどうしたらよいのかすぐにはわかりません。
まずは義援金を送り、支援物資になりそうなダウンベストやコートをクリーニング店に出し、個展の展示の最終展示替えをしました。
せめて、戦争や災害があっても1500年以上続いてきた和紙作りの良さや、なんちゅーか強さみたいなものが見えますように。

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個展なう

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名古屋市美術館地下1階常設展示室3にて個展中です

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公式ホームページ

http://www.hm8.aitai.ne.jp/~yoneyan/index.html

最初の一歩です。

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あいちトリエンナーレ

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あいちトリエンナーレ共催事業で七ツ寺共同スタジオにて個展しました。
たくさんの方々にご協力いただきました。
ありがとうございました。

[こめのゆめ]

 [こめのゆめ]は、さまざまな場所のさまざまな人が食べ残したご飯粒を絹糸につないで作品を作るという、個人による美術プロジェクトです。
個人の家や店舗で残ったご飯を持参していただいたりその場に行ったりして集めたご飯粒を絹糸に通し、乾かしたものを素材にします。乾くと白く半透明になり、光を柔らかく反射させる米粒の性質と、粒の重さで出来る糸の曲線の面白さを生かし、展示する場所の個性が際立つようにその糸を張ります。

 
(コンセプト)

私は10年ほど前から小さな田んぼを借りて米を作っていて、米を大切に思います。
主食として大切なご飯は残りご飯になると捨てられます。ごみになる瞬間。そのことを意識しました。
一方、日本では古くから米は食物としてだけでなく、糊などとして環境に使用されてきました。食べ物としてだけでなく見ると、炊いたご飯粒が乾くと繊細な色を持って輝き、絹糸に通してつなげると曲線にたわむことがきれいだと思います。その糸がたくさん集まって部屋に飾られるのを思うと、嬉しくてどきどきします。米の糸を展示したところを見た人は最初に、綺麗なガラスやビーズだと思い、そして米粒だと知るともう一度じっくり見てくれます。第一印象の美しさと本来の機能(食べ物)のギャップに魅力があります。

「場」としての七つ寺共同スタジオの意味
七ツ寺共同スタジオは、繰り返し黒いつや消しペンキが塗られた窓の無い完全に真っ暗な劇場空間ですが、演者のパフォーマンスを際立たせる場として様々に彩られます。いつもは人が出演する舞台で、今回の主役は米粒です。

生過程とは「成長」と「生殖」の位相交替のはてしなく続く、ひとつの波形として描き出すことが出来る。この典型として、複位核の無性世代と単位核の有性世代の互いに交替する、かの陰花植物のみごとな生の波がしばしば引用されるのであるが、この「食と性」の営みが植物と動物の間でいちじるしく異なった形をとって行なわれることはあらためて言うまでもない。すなわち、合成能力の備わった植物が植わったままで、生を営むのに対し、この能力に”欠”けた動物は、”動”き廻って草木の実りを求めることになる。この文字通り”欲動”的な生きものの動物に「運動と感覚」という双極の機能が、光合成の代償として備わったことは、これまた自然のなりゆきと言わねばならないであろう。-人間生命の誕生「三木成夫」-

植物は動かず静かに眠っているように見えますが、そこでは延々と生が営まれています。人間が筋肉のある身体を使って様々な感覚を表現することが象徴的な「舞台」という場に、米を展示する意味を見出し、「種の夢」を表現しようと考えました。

こめのゆめプロジェクトとの関わり

地元在住の名古屋市中区高齢者はつらつクラブの皆さんに残りご飯の提供と米糸作りを協力いただきました。合計100名以上。ご飯粒約25万粒。長さ約3000メートル。
参加してくださった方の名前を書いたものを入り口に展示。

    米山和子

「ちがう」とロバートが反論した。「この結論は、ぼくにはまだまだ反論の余地があるように思えるよ。君は全く同じ論法で次のように言えるだろう。全ての生命を持った物は原子から成り立っているのだから、原子もこれらの生物と全く同じように生きていると。だけど、これは明らかにナンセンスだね。たくさんの原子が複合されてもっと大きな構造物になり、そうなってはじめて、そのような構造物あるいは物を特徴づけるような性質だとか、特性だとかいったものが与えられるのだ。」 -「部分と全体」 W.ハイゼンベルク -

人の霊は

水にも似たるかな。

空より来たり、

空へ昇る。

再びくだっては

大地にもどり、

永久に変わりてやまず。  

(ゲーテ「水上の精の歌」一七七九年一〇月作詩、から高橋健二訳)

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楽しい遊び Cut up

人間は行きたいほうへ行くがよいこの急激な膨張の直接の結果として 、現在我々から観測可能な宇宙全体は因果関係で結び付いた(causally-connected)小さな領域から始まったこととなる。なぜならば著者が何かを知っていたということを我々に知らせるために書かれたと思われるような本がある若いときは興味が散漫なために忘れっぽく 、今日は力強く自由に働け 。明日も同様に幸福であれと。 この膨張の時間発展は正の宇宙定数を持つド・ジッター宇宙と同様のものである
自然から生みつけられたままでもきっと人から好かれるものだ  、悩みには喜びがなくてはならない。 インフレーション理論ではといういうふうに考えることのできるほどのうぬぼれがないからである 。”それで片付いたと思っている!もちろん 、人間を不確かなものにする。若いときは興味が散漫なために忘れっぽく  、今日は力強く自由に働け 。このインフレーションに関与する粒子は一般にインフラトンと呼ばれる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97


この遊びはウィリアム・S・バロウズが広めた文章を切り張りする技法です。

コラージュ遊びの一種です。

気分転換に色々遊べます。

これで妄想できます。

これは「ゲーテ格言集」高橋健二訳 と佐藤勝彦氏のインフレーション理論(原典探し中)のカットアップです。

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卒業記念と父の思い出

小学校卒業式の数日前、

父に連れられて日本橋三越のオルゴールショップへ行った。

父は私の卒業記念にオルゴールを買おうと決めていたようだった。

ガラスケースの中に並ぶオルゴールはどれも綺麗だったが、

当時の私はオルゴールを欲しいとは思っていなかった。

そもそも、父はちょくちょく小さい私を連れて上野や銀座へ出かけたが、

私がついていったのは、一緒に行くと食べさせてもらえるデパートのチョコレートパフェや、不二家のホットケーキや、鮨や、うなぎの蒲焼といった餌につられていただけだった。

父との思い出で多くあるのは、毎年のように出かけた日展だった。

毎年繰り返して見ると、子供ながらに誰の作品か覚えてしまった。

今でこそそれは作家のスタイル(様式)だからねー、と言えるのだが、当時の私はすでに飽きていて、いつも見るのは作品の隙間にある都美館の壁や、木で出来た階段や廊下の肌だった。

壷の並ぶ部屋では何歩で向こうの壁に届くか数えていた。

作品を見ずに間の空間を見ていたとは我ながらイカスじゃんと思うのだが、書の部屋で父が何気なく言った「書はね、墨の部分だけじゃなくて白い地の空間が大事なんだよ」という言葉を何かの呪文のように聞き入れてしまったのかもしれない。

うわ、めっちゃ話が逸れまくったし、面白くもない話ですいませんだが、要するに、子供の頃、長屋門のある家に住んでいた父は、夜逃げをして深川の長屋に住んじゃった没落一家だったので、自分がやりたかった事を子供の私に見せたかったのかも知れない。

ところが生まれついてビンボーだった私はそんな父の趣味には興味がなかったという訳だった。

花より団子、オルゴールよりパフェだった。

やっと話が戻りオルゴールのショーケースの前であります。

父が選んだオルゴールは木で出来ていて、私には鎌倉のお土産の木目込み細工と変わらないように見えた。

その上オルゴールの機械の上にはガラスの蓋がしてあって手でさわることが出来なかった。

私は人造真珠が取っ手になった、銀色のロココ調の彫りが入り、中の布の蓋をとるとオルゴールのムーブメントを触りまくれる方が気に入った。

それでもフォルムは一応ハート型ではなく四角い基本形にして、気持ちは買ってくれる父へ歩み寄った。

今でもちゃっちいオルゴールの蓋を開けると、父の少し悲しそうな微笑が目に浮かぶ。

ってなふうに、亡き父の思い出は美化されていくのですね。

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ユーカリの枝もらってください。

葉っぱの丸い形と銀鼠色が好きで植えたユーカリの木ですが、本場オーストラリアでは高さ10メートルにもなるというので、それは困るなあと思っていたら、4~5年で屋根より高い巨木になってしまいました。

成長が速くて、やはりウォンバットのような大きな鼠が育つ大陸の木です。

このままこの狭い庭で育つのも窮屈だろうと思うので、可哀想だが今年伐採する事になりました。

木を植えるときはその後を良く考えてから植えないといけないとわかっていたつもりですが。申し訳ない気持ちです。

そんな訳で、ユーカリの葉でクリスマスリースを作る方、枝をもらってやってください。10~11月中に取りにこれる方又は私が持って行ける場所の方、ご連絡ください。

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菩提樹のオルゴールレクチャーコンサート

                  

リュージュ・オルゴール コンサート
                        「オルゴールが奏でる19世紀ロマン派」

という、スイス・リュージュ社のオルゴールを菩提樹のホールで間近に聴き、見て、触れられるレクチャーコンサートへ行った。

Callista

優しいフォルムの木箱のオルゴールは蓋を開けずに小さなボタンをそっと押されると、軽やかで明るい音が流れ出た。

透き通ってまろやかな音色と、普段オルゴールではあまり聞いたことのない曲と、演奏される曲の長さに驚きと嬉しさが部屋中に広がった。

スイス・リュージュ社の国内総代理店の畠中さんという方が、オルゴールの歴史や背景の文化を紹介してくださった。

カリヨンという教会の鐘が様々な音色で時を告げていた14世紀、自宅でも楽しみたいと柱時計の形で作られたものがオルゴールの原型だそうだ。

フランス革命後、スイスに亡命していた時計職人が、部品がそろわない中で工夫して作った小さなオルゴールが世界最初の現在形オルゴールと言われていて、それは今、スイスではなくて!日本の京都嵐山にあるということだった。

小さくて綺麗な音が出る、愛らしいものと思っていたオルゴールだったが、その歴史を聞いていくと西洋の人々の生活が浮かび上がってきて、いろいろな興味が湧き上がってきた。

オルゴールは金属の櫛(コーム)を歯車のピンが弾いて音が出て、それはそれぞれ、原理としてピアノが鍵盤を指で叩いて演奏するのと対応している。

くしの部分の鋼は男性が鍛え、ピン打ちは女性の冬の仕事という分業だったため、当時の西洋が男性中心社会だった中で、オルゴールの製作は女性も重要 な役割を担っていたのだそうだ。

オルゴールの選曲は、ピンを打ちオルゴールを組み立てる女性達がした。

だから、オルゴールに入っている曲が優しく女性らしいものや、女性作曲家の作品が多いそうなのだ。

最初に聴いたオルゴールには、クララ・シューマン、ファニー・メンデルスゾーン、アルマ・マーラーの曲が入っていて、それはそれぞれシューマン、メンデルスゾーン、マーラーの妻達女性の作曲したものだった。

「小さなオルゴールは反響するものによって聞こえ方が違い、ピアノの中が一番綺麗な音がします。」

と畠中さんがおっしゃって、オルゴールの後ろにあった千佳さんのグランドピアノの蓋を開けたとき、空気の圧力でオルゴールの音がふうわーっと膨らんだ。

空気の振動で音が耳に届くことを目と耳と肌で感じた。

見えない空気が菩提樹のホール全体にあって、オルゴールやピアノや自分達がつながっているような不思議な感覚だった。

手でねじを巻く。

ぜんまいの渦がきつく巻かれて緩む力を動力とする。

ねじを巻いたばかりの強く元気な音色、弱くなって眠くなるような音色。

その繰り返しがオルゴールの魅力。

レクチャーの最後にJ.パッヘルベルのカノンを聴きながら、

カノンのもつ繰り返しの中にあるのも、

「幸せが繰り返し来ますように。」

という優しいお祈りだと畠中さんが教えてくれた。

(以下のリュージュ社のHPで試聴することが出来ます)

http://www.reuge.co.jp/pages/music_list/index.html

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鈴の音

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近所のボランティア仲間のリーダー石川さんから、やはりボランティア仲間の近藤さんが毎年育てているという鈴虫をいただいた。

頭の先とお尻に2本づつ白いヒゲのある黒い小さな虫だった。

おちびちゃん達は静かにもぞもぞ動いていたけれど、全く鳴かなかった。

3日目の夜、ちりちりちり・・・・と軽やかな鈴の音が聞こえてきた。

本当に小さな金属の鈴を振っているようなかわいらしい音。

にわかに鈴虫ってこうだった!と記憶が蘇ってきた。

そういえば、子供の頃、夏になると虫かごに鈴虫を飼っていたっけ。

毎日の生活の中で急に生き生きと現れた季節の風物。

音だけで涼しい、夏の夜。

「風流」は、初めて体験することよりも、記憶の中から出てくるのかもですね。

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使ってまた使えるポスター

Metal_2009_044ただいま開催中

2009.7.25~9.23(伊丹市立美術館
7.18~9.13(はるひ美術館

キタイギタイ

ヒビのコヅエ

生きもののかたち服のかたち

のポスターは、ポスターで使ってから、また使えます。

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布で出来ているので、ポスターで使った後は仕付け糸を取って、スカーフや手ぬぐいとしてずっと使える。

プリントはヒビのコヅエさんらしく素敵なデザイン。

地色の白をちょっぴり残して、とっても効果的に使っているし、絵の線も巧いけれど巧すぎないように調整して、モダンとクラシックの中間の空間にちょうちょと虫が飛んでいる。

学内に貼って、展覧会期間が過ぎたら、

作業つなぎの頭に巻いて使わせていただきます、ポスター。

ちなみに作業つなぎのポーズは しぇー です。

洗おうと思って持ってきたつなぎ、汚くてごめんあそばせなのだ。でもつなぎはこれでいいのだ。

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復活しますた

chikaさん

もう大丈夫です。

まじ凹んでいたここ数日でしたが。

Img341_3

告別式当日、真っ青な空に浮かんでいた白い雲が流れて行ったことや、

名前を呼びかけた時にサーっと吹いた涼やかな風を思い出すと、

残った私達よりずっと広い世界へ、自由に飛び立っていかれたんだと思いました。

汝が生まれたとき、汝の周囲の人々は喜び、汝のみが泣いた。

汝がこの世を去るとき、周囲の人々が泣き、汝は微笑む。 かく生きよ。

だっけか?

チベットかインドかインディアンのことわざだったか?

なんにせよ、chikaさんは微笑んでいそうだ。

私もかく生きよー。

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友よ

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Chikaさん

Chikaさん

いつも前向きで、明るく、

聡明で、やさしく、

広い愛の心を持って話していた

友よ。

今は他に言葉が見つかりません。

ありがとう

ありがとう

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サイモン&ガーファンクル

7月8日名古屋ドームでのサイモン&ガーファンクルのコンサートへ行った。

高校時代、兄の影響で聴いていたのはツェッペリン、ボブディラン、クラプトン、S&Gなどなど。

兄が弾ける曲を聴いて、自分も弾けそうな曲を選んでいくと「天国への階段」のちょっぴりとほぼS&Gになってしまったという安易でせまーい選択だったが、それでもタコが出来る位は弾いたギター。
2枚組みのLP聴き込んだ、懐かしい思い出でっす。

名古屋ドーム入り口は混んでたがアリーナ席は最初なんとなく空いていて、そして年齢層も高いため、静かだった。

開演7時をほんの少し過ぎて3枚の大スクリーンに2人の子供のころからのプロフィールや往時のS&Gや若者達の映像が流れ、
そのころにはアリーナも仕事帰りのおじさん&おばさんでいっぱいになり一安心。

「Old friend」で渋く始まったが、スクリーンに映し出された映像が2人のライブ映像に切り替わったときは、ドキッとした。

思わず「おいくつだっけ?」とキョロキョロしてしまった。

なんとなくサイモンは目が泳いでて、半分壊れているような(すみませんほんとに失礼!!)な感じ。

でもミセスロビンソンの間奏あたりからセッション的になり、ガーファンクルのソロでじっくり&癒し(マイケルへの曲あり)、サイモンのソロでリズム&音楽人類学と進んでいくと、サイモンも生き返った(すみませんほんとに失礼!!)ようになって、その後の2人は絶妙なハーモニーのS&Gだった。

そういう自分も振り返ってみれば、腕をあげてると筋肉痛になりそうなんであった。

おじさんおばさんは、ふつうのコンサートと違ってスタンディングまでに時間がかかり、ほぼ最後の曲「明日にかける橋」で一度立ってしまうと、そこからは座らず、やっと身体が温まってきてノリ&ノリになり、アンコールを限りなくねだったのであった。

結果、楽しいコンサートだったんでした。

そして、サイモンが壊れてるかもと心配している(すみません!!)いつもふざけている私と、アイアムアロックやアメリカで涙が出ちゃったりしたもう一人の私もいたんでした。

そういえば、時々、眼鏡を下げて涙を拭いている前のおじさんの背中も見えたんでした。

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こめのゆめ

Kome_2009_029いよいよ最終日。

お疲れ様でした。

展示に足を運んでくださったたくさんの皆様、

本当にどうもありがとうございました。

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薔薇の部屋

つらつら考えるに、

使用済みの湿布って毎日どの位でるんだろう。

老人ホームやお年寄りに持ち寄っていただいて、おじいちゃんが作り方の指導をしてくだされば、沢山の薔薇が出来るのだろうか?

微かにハーブかインドメタシン!?の香りのする、ヒーリング効果のある薔薇の花が部屋中に出現するのだろうか?

その薔薇の部屋に入るとどんな気持ちになるんだろうか?

どうなんだろうか?

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まいりましたっ!!

先日13日付の中日新聞に展示の記事を掲載していただいたところ、「残りご飯を使った」というところに共鳴してくださったある方が、ご自分の作品をペネへ持ってきて下さった。

きーちゃんに一部始終を教えていただいた。

Komenoyume5




布で出来た薄桃色の薔薇。

この布は何だと思いますか?

なんとっ!!

湿布 だそうです。

柔らかさといい、くるっと丸まった花びらの先の感じといい、なんとも言えない質感。

そしてかすかにピンク色。

どーやって  どこから  使った湿布を薔薇にしようと思われたのかっ!!

そして、透明のケースに入っているもうひとつの薔薇。

プリンの空ケースでしょうか?

いえ、もずく!

おじいちゃん、これはほんとうにまいりました。

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キャンドルナイト

6月21日 夏至の日に各地で行われた、電気照明を消してろうそくの灯でスローな時を過ごそうという100万人のキャンドルナイト

ペネロープ・パリ・ペティヨンでは、お米の展示に合わせて、この地域で大変古くからお米の生産をなさっている「野田農場の野田さんにお話を伺う会」がキャンドルの光の下で行われた。

Komenoyume

長い年月お米の生産に携わっていらっしゃる野田さんのお話は、土地を耕す(cultivate)事と文化(culture)のお話から始まり、

田んぼのぬるぬるした泥に入る子供達の様子の変化や、かえるやドジョウの話など、暗い部屋に明るい里山が目に浮かぶようなゆっくりした口調で進んで行き、

後半、私達が毎日当然のように美味しく温かいご飯を食べているその背景にある、生産者側の大変なご苦労を、蝋燭の灯りの中に見せてくださった。

今お店で手軽に買えるお米に「土」のイメージはしにくくなっているけれど、お米は「土地」で育つんだ、土地は区画整理や土地開発など国の政策と関係してるんだということが頭というよりお腹でわかった気がした。

そういえば、私が友人達と借りている田んぼは大型トラックがブンブン走る道沿いにあるけれど、トンボやかえるやドジョウのいる田舎の中にある田んぼのほうが、お米はきっと美味しいだろう。

田んぼだけが独立して存在してるんじゃないんだなあ。

短い時間の中だったけれど、野田さんのお人柄の温かさから、私の心の中に「お米で作ること」だけでなく「お米を作るということ」を考える灯が、部屋のろうそくのように小さくともった気がした。(メルヘンな締め方ですいません)

当日はいろいろな人が来て下さった。ありがとうございました。

菩提樹の大島さんは、お米つながりということでポン菓子を持ってきてくださって、小学生の男の子達が嬉しそうに集まっていた。ユニバーサルのピラティスインストラクターローガン浩子さんとジョナサン(石彫刻制作中で多忙なのに!)ご夫妻も来て下さり、とっても背の高いジョナサン氏は天井に架かった米の糸にぶつからないようにかがんでくれていた。コピーライターの北村日出子さん、放送作家の谷亜由子さん。オーナーの原田さとみさんが副学長を務める大ナゴヤ大学の学長加藤慎康さんはじめサポートメンバーのKさん。経済産業局のOさんは可愛いお嬢さんと友達親子のようだった。ご祖父の土地を耕してらっしゃるカッコいい男性、さとみさんの息子君友達と素敵なお母さん達、名古屋ファッション専門学校からは校長井後ちゃん、吉村かおりん、制作者の学生も、その又友達も・・・・。電気照明だったら、きっとものすごい混雑だったろう。でも、蝋燭の灯りだと全く大丈夫。不思議だ。

静かでゆっくりした嬉しい時間でした。

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搬入

こめ の ゆめ展 の搬入。
ショップでの搬入なので、定休日の一日でいっきに終わらせるため、10時半から私が一人で先に始め、学生達は授業が終わる3時過ぎから合流。

ご飯つきの糸は、絡んでいた!

一本ずつ絡んでいるのを解きながら、天井や窓に付けていく、めまいのする作業。

そして窓のところでは数十本の絡み糸が出現してしまった!

「千と千尋」に出てきそうな塊の米。

10センチほどの絡んだ糸の中には絶対何かいそうだった。

徹夜だと思っていたが、塊はバチスタ手術をして、どうにか済ませた。

夜10時半に終わったー。

さすが、14~5人いると作業が早い。

今回、接着剤はすべてご飯粒。

終わったら全て水できれいになりますです。

これは環境にやさしいかも。

帰りがけに携帯で入り口を撮った画像。
20090617221625

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L ギャラリー

今日は仕事が終わってから、小島久弥さんのLギャラリーに行った。

ベロニカ・ドバース Veronika Dobers 展。

もう会期は終了していたが、見せてもらえてラッキーだった。

ギャラリーに入った印象は「緑色の静かなガラスに閉じ込めた何か」という予感。

一見静かな気がするのは、ガラス絵という手法で平面ガラスの裏側に描画するから、表面は均一なガラス質のせいなのか。

描かれたモチーフも人や植物や滴(しずく)や木や藁のようなシンプルで自然なものだからか。

いーや、このベロニカさんは確信犯だ。

本当は超過激で、超哲学的でいながら、ちょーユーモアがあるために、自然で象徴的なモチーフをガラスの裏に閉じ込めてなぞかけしているんでしょう。

静かなふりしてー。

なんちゃって、こうやって勝手に深読みしてしたりがおしていると「なんにもないっすよー」と日本語で答えてくれたりして。逆に。

何気なく緑色のガラスに描画していると思っていた私に、スタッフのOさんが「透明なガラスの裏(絵と同じ所)にこのうす緑色は塗られてるんですよ」と教えてくれた。

まいりました。

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penelope paris petillante ペネロープ・パリ・ペティヨン

名古屋市・栄の松坂屋、パルコ、Gap、Max Maraなどが立ち並ぶ大通りの路地を入ったところに、ペネロープ・パリ・ペティヨンというオリジナル&セレクトショップがあります。

車が入れないせいか、街中とは思えない静かで懐かしい路地を入ると、突然「おっ!」という感じで見つかります。

ウインドウを覗くとこじんまりした店内に服や小物が見え、パリらしいお洒落な感じが漂っていますが、急にふと、「あらっ!?」っと思います。

最近本当にお洒落なショップを沢山目にするけれど、そういうところによくあるファッショングッズじゃないのです。
普通だけどなにかが違うような気がしてつい中に入ると、やはり、服はミナ・ペルホネンや、オリジナルや、フランスの小さな村で作っているオーガニックな素材のもの。

ジュエリーもアンティークのハイクオリティーなもの。そうかと思えば、超お洒落なのに100円台のベトナムのヘアピンや超お洒落なのにリサイクル米袋のバッグ。

普通に見えてよく見ると違う。

何が違うかな?

何が同じ?

と考えると、値段はばらばらだけど、みんな背景にいろんな意味で長い「時間」がかかってるような気がします。

ここは、タレント原田さとみさんが、モデル、タレントとしてのファッションセンスに加え、パリでの生活を通して培った、流行にとらわれず自分らしいスタイルで生きる感覚と、子育てを通して感じた環境や食に関するモノやコトなど、衣服だけに留まらないトータルなものをセレクトして提案するショップとして10年間、姉妹でやわらかく営業なさっています。

さとみさんが素敵なのはもちろんのこと、妹のきーちゃんがこれまた素敵です。

大学では美術を専攻されていて、DMのデザインから商品のセレクトまでこなし、なんといってもちょっぴり力の抜けた服の着こなしが私は大好きです。

今回はここで作品を展示させていただきます。

こじんまりしていて、むき出した柱があめ色でとても綺麗だ。

嬉しいなあ。

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こめのゆめ

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名古屋・栄にあるセレクト&オリジナルショップ「ペネロープ・パリ・ペティヨン」で展示します。

6月18日(木)~6月30日(火)

12:00-20:00

水曜日定休

6月21日(日)夏至の日は電気の照明を使わない、キャンドルナイト開催。

お時間ありましたら見にいらしてください。

素敵なお店です。

今回は服飾専門学校の学生さんと一緒に、学食で残ったご飯を絹糸につなげました。

さすが皆さん、手先の器用な人が多く、仕事がきれいです。

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鉄または溶接

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ひっさしぶりにアーク溶接をした。

トリガー操作(手元のボタンを押すと自動的に溶接棒が出てきてスイッチが入る)のコツが全くつかめず苦労したした。
特に細いワイヤーと太い棒をつけるのに細い棒がはねてしまい、つい裸眼で見て溶接してしまった!夜、雪焼け目になってジーンとした。(運動能力の衰えまたは老化の強化やばいやばい)




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勝手な思い込みで就活くんを抱きしめろ

おととい街を歩いていたら、目の前の男子が目に入った。

信号待ちが待ちきれず、身体を前傾にしてもじもじ立っていた。

紺色のリクルートスーツを着た、15歳くらいの男子が大きなビジネスバッグを斜め掛けしていた。

!?

繰り返します。

紺色のリクルートスーツを着た、15歳くらいの男子が大きなビジネスバッグを斜め掛けしていた。

紺色のスーツは学生服じゃありません。大きなバッグは学生用じゃありません。

リクルートスーツは身体のサイズより大きく、一見入学したての高校一年生の制服姿のようで、重いバッグの肩紐のせいで身体に対して斜めになっていた。

制服か?
いや違うと思う。
就職活動か?

男の子は大きな目で信号の先を見ていて、まだあどけない風貌にまるいほっぺの下についている口は「お」か「ほ」の字に開いていた。(どっちも同じ形か?)

現在の日本は高校進学率が95%を超え、新規就業者の高学歴化が進み、中学校新卒者の就職活動は非常に厳しい状況にある。

といった新聞やニュースの言葉が頭の中に浮かんだ。

私は青信号側を渡ったので、見知らぬ就活くんとは時間にして数十秒の出会い。

普通に歩いていたが、頭の中では思わずその男の子をぎゅーと抱きしめそうになっていた。

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桜の葉

雨の日、大きな桜の下を通ったら、ふと桜餅のにおいがした。

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隙間

去年、道路と塀の隙間に小さな種を蒔いた。
何かのおまけだった水色のカスミソウの種。
すっかり忘れていたけれど、春になって花を咲かせた。
超ちっちゃ。
2,3ミリでっせ。
しかしじっと見ると完璧な花。
なんだか魔法のようだ。

おかげで山のようにいっぱいある私のちっちゃな悩みもカスミソウ。

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赤い月

息子が携帯で写メってくれた 月 。

たまねぎの細胞。

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コラージュ




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お餅

暮れの12月24日、お餅をつく。

ほかほかでもちもち。

10年もやると、きめの細かい柔らかい餅ができるようになる。

最初のころは、米粒入り。杵の破片入り。

そのうち、豆を入れたり。

結局、ふつうの餅になってきた。

石臼で杵つきのつきたては板の上に伸ばして熱を取る。

これはちょっと皺あり、これもご愛嬌ということで。

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異形の花

最初に彼女に会ったのは、駅ビルのパン屋だった。

入り口にパンが並び、右手奥に買ったパンと飲み物を持って座れる喫茶室のある、小さなパン屋は昼下がりのお茶の客でいっぱいだった。

年の頃は22~3歳、スマートできちんと化粧をし、リクルート系ファッションのその女性は、店の真ん中にあるフランスパン売り場で右手のひじを軽く曲げ、どれにしようか迷っている風情で味見用パンをつまんでいた。

私は店で一番人気というクリームパンがトレイに残り一つだったので、それを自分のトレイに乗せたが、トングでつまむと「クリームパン」と書いてある紙のラベルにくっついていたので、少し残念な気持ちになった。

でも、それを元のトレイに戻すのも気が引けて、まあいいやと気持ちに決着をつけたりと、パンひとつにくよくよしている本日も相変わらずの私だった。

ふとフランスパンに目を移すと、そこにはさっきの女性がまだ味見カゴの前でぱくついていた。

人に押されて移動しながら、隣の味見カゴへ移ってはひとつ、またひとつと小指を立てて味見を繰り返していた。

味見を通り越して、明らかな食事だった。

「おお、若いのに大胆だのう!」  

小心者の私はそのとき彼女に好意は持てなかった。

二回目に彼女を見たのは、その10分後位だった。

私はいつも自転車で帰る道を歩いていた。

後ろのほうから、かっかっかっか、とリズミカルな足音が近づいてきて、まもなく私を追い越して行く女性がいた。

年のころなら22~3歳、スマートでリクルート系ファッションの女性がまっすぐ前を見て姿勢良く歩いていた。

ふと、さっきのパン屋味見ちゃんだと気が付いた。

何気なく観察するのが習性の生き物私は、自分の子供には「ドント ステイア」なんちってるくせに、たまたまその道には私達2人だったのを良いことに、追い抜く彼女の後ろ姿を見てしまいました。すみません。息子よ。

リクルートスーツの上に羽織ったきちんとした感あるコートは、カジュアルにも着られるカーキ色で、これはオンオフどちらにも使える便利もの。

足音が大きかったのは、ちょっと大き目のパンプスのせいだった。

スマートだと思ったがちょっとスマートを通り越しているかもしれない痩せ加減の足には、何枚もストッキングを重ねて履いていて、そのおかげで何本もの伝線しているところがぼやけていた。   なんというグッドアイデア!

もしかして、最近痩せてきたから靴が大きくなっちゃったのかな。

妄想癖の私は、就職活動中で、生活を切り詰めているらしいこの女性の性格を考え始め、そのうちに彼女の事をちょっと尊敬し始めていた。

彼女の歩調は全く変わらず、そう遅く歩くわけでもない私を残してぐんぐん遠ざかって行き、そうこうしてるうちに自宅に曲がる角へ来た私は、小さく彼女に手を振ってエールを送ってしまった。

彼女はそんなことなど気が付くはずもなく、次の駅も超えていく勢いでかっかっかっかと歩いていったのだった。

おしまい。   

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庭に咲いた ファニーなチューリップ。 

身の丈6センチでけなげに咲いてるのでつい見過ごしてしまう。

今年も一花咲かせとります。

あたしもあんたのようにけなげに生きるっす。

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西の空

明日は  晴れだ。

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色石礼賛

今日は色石の展示会に行きました。

ある方が、スリランカのご自分の鉱山で採れた色石のルース(裸石)を見せてくださいました。

ルビー、サファイア、スタールビー、スターサファイア、アレキサンドリア、クリソべリル、#$%・・・・・色々覚えきれないほどの名前のついた色石。

全ての石は磨いただけで、熱処理や薬品コーティングやトリートメントをしていません。

一つずつの石が全て色が違うし、形も違う。

デパートにある石は同じ色の石が綺麗に揃って飾られています。

昔はくず石とされていたものでもレンジに入れて熱を加えると、今や自由に色を操作して美しい色を出せるのです。

考え方によっては、全ての石が元々地球のマグマの熱で変色した訳だし、合成した石ではないので宝石に違いはないんだけど。

手を加えている気がしてしまう。

実際、日本でも、天然石を「未加工」と(むしろ不思議な名前で)呼ぶ。

そして天然の石は本来持っている色を最大限生かすように研磨されるので、石紋(人の指紋のように自然にあるもの)が残っていたり、インクルージョン(内包物)があったりして、均一の質にはなりにくい。

そう考えると、おそろいの色石を見つけるのって奇跡のようなんだ・・・。

昔の宝石がこういったひとつひとつ違う宝石から似たものを揃えて、首飾りにされたのかと思うと軽く眩暈がしました。

今の時代に、そんな石を目の当たりにした時の感想。

不思議な気持ち。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

友人の言葉。

「Gift」

たしかに。

自然からの。

神からの(かな?)

この gifted な友人からもっと沢山の言葉を聞きました。

機会があったら聞きかじったその言葉 (詩?) を書いてみたいなあ。

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山に

Nsc_001

山で出会ったもの。

はっぱじゃないよ

かえるだ・・・・・

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こなつ

我が家の犬、こなつです。大好きな大好きな家族の一員。

母親の名前が「なつ」なので、「こなつ」。

大学時代からの親友柳田久実さんの家から我が家に来ました。

兄弟の名前はそれぞれ「こたろう」と「はる」。

ゴールデン・レトリバーは垂れ耳なので耳が蒸れやすく、いつも気にかけているのですが、左耳にばい菌が入り腫れてしまいました。

今日は獣医さんで耳に傷をつけて膿を出し、注射を受けました。

動物は自分から言わないので、飼い主が気にかけなきゃいけないのに、ごめん。

そんなわけで、いつもは超機嫌が良いのに、今日は少し元気の無いこなつ。

ほんと、すまんのう。

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ながくてアートフェスティバルその4

つぎは染織の工房と教室の欅舎さん。

名都美術館から徒歩5分。大通りから一本入ったら静かな住宅地。

わかるかなと思ったが、近くに行くと可愛い緑色の家と欅舎の看板が目に飛び込んできた。

こじんまりした可愛い玄関から中にお邪魔すると、穏やかな声の女性と色とりどりのマフラーが出迎えてくれた。

ふと部屋の奥に目を移すと、整然と織り機が並ぶ工房が・・・・。

わーっと思わず奥の部屋にお邪魔すると、もっと声を上げたくなる光景が待っていた。

天井から隙間なく吊り下げられた手染めの糸の束、また束。その数、色とも「ハンパない」

糸を染め、布を織りながら、その染めた糸を保管する為に思いついて天井に吊るし始めたのだそう。

20年以上という月日の中で染められた糸は工房の天井を全て覆っていて、上を向くと色とりどりに美しい、柔らかい天井だった。

使い込まれた織り機や染めに使う水場は人肌のように馴染んだ温かさがあった。

ここで織られた布たちは今も、色々なところで色々な人たちに使われているのだろうなあ。

少しずつ少しずつ長くなって布になる。出来上がって織り機から外されて、また新しい布が少しずつ少しずつ織られていく。淡々と続くように見える手織りの中に、いつも何かが織り込まれていくんだろう。

どんなものが織り込まれているのですか?

絵も描かれるという欅舎さん。この糸達のように沢山の色の絵の具が乗せられた、温かな絵なのかな。

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ながくてアートフェスティバルその3

さて次はご夫婦共に画家のお住まいアトリエ・パルチャへ。

この一帯は昔からの大きな民家が建ち並び、その中に若い世代の建て替えらしい洋館がぽつぽつ増えてきている、長久手の歴史を感じる住宅地。

ご夫婦というか仲の良い友達といった印象の赤塚夫妻は、大きな古い民家を住居、アトリエ、絵画教室になさっている。

古い日本家屋や塗り重ねたペンキにある温かみの中に、油絵のモチーフらしい洋風のガラスや金属や土物が深い色を持ち、教室の子供達が作ったり描いた作品が明るい色彩で貼られている様子の絵画教室にのんびり猫が歩いていて、懐かしくて優しい気持ちになりました。

でも優しいだけではないある種の空気。

奥様の赤塚雅代さんの作品の持つ空気感や木版の肌触り。

多彩で明るく美しい色彩の下に重層的な深みを感じる赤塚一三氏の作品の空気感。

その赤塚氏はすぐ今月末に控えた個展の作品をアトリエで制作されていた。

ながくてアートフェスティバルの嬉しいところは、こういった普段なかなか拝見できない作家のアトリエやご自宅を気楽に訪問出来ちゃうところだが、それはひるがえると本当に作家ご自身のご好意あってなのだ、とあらためて感じた。

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ながくてアートフェスティバル その2

たいようの杜を後にして、次に名都美術館へ行った。

ここは長久手の宝のひとつだと思う。

開催中の展覧会は以下のとおり。

<特別展> ~美の大饗宴~ 美人画の三巨匠
   上村松園 鏑木清方 伊東深水展

私は今まで美人に興味が無かったせいか、美人画にもあまり興味が無かったが、

とっても色気のあるものだった。

日本画に脈々と流れる、品格のある色気。

固有名詞ではない「女性」の、これまた「着物」の持つ「色気」。

「色」ってある意味こういうことだったんだー。と一人合点。

伊東深水 「指」 

絵の全体は暗くなってきた夜の色だ。

私は、夏の宵にぼんやり浮かび上がった女性にひきつけられる。

葵の咲く庭の縁台にひとり腰掛けている女性は、黒い絽の着物を着ている。

この美しい女性は自分の指を見ている。

少しうつむいた日本髪の前髷に円く光る漆の金の櫛。

結った髪が少しほつれている。

髪に結んだ手絡の藤色がちらっと見えて、この色はそうか、どなたかの奥方?

黒い塗り下駄にそっと置かれた白い足にひときわ青い鼻緒が、宵少し涼しくなったと感じる。

いよいよ気にはなっていたけれど、失礼かと思っていた着物から透ける素肌に目を移す。

赤い腰巻の紐がきりっとしてこの方の貞淑さを感じる。

しかし太腿にはやさしい温かみがある。

この絵は、描いた男性の目を通して女神が描かれている。

手の届かない美だ。

なのにその女神は微かに微笑んで、左手の薬指あたりを見ている。

画家の不安と歓喜の綱引き。

なんちゃってああ、また勝手な妄想をしてしまった。

(伊東深水 「指」 英題 The Wedding Ring )

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ながくてアートフェスティバル

11月1日~9日まで、長久手町でながくてアートフェスティバルが開かれていてる。

長久手町にある美術館、画廊がこの時期にいっせいに関係しあって展覧会をしたり、普段見られない作家のアトリエも開放されるというイベントウィークだ。

今日は最終日なので、一気に廻った。

一番行きたかった「菩提樹」は私がカレンダーを見忘れて、終了していて残念だった。

菩提樹の主宰、大島千佳さんは世紀末から20世紀初頭のウィーンの魅力をいつも教えてくださる人。

カフェにあるウィーン工房の椅子やアール・デコのピアノ、蔵書、空気感。「菩提樹」は訪れる度に「出会い」をくれる。

音楽が基本コンセプトのギャラリーで、カフェ・コンサートも開かれる場所なのに、普段音楽(いわゆるBGM)が流れていない。

その静けさにかえって音のイメージが広がる場所だ。

そこに行けない時は菩提樹のブログでウィーンに思いを馳せることも出来るけど、せっかくのアートフェスティバル。どじな私だ。

まあ、しょうがない。

気を取り直してたいようの杜へ。

ここの特別養護老人ホームでは加藤浩美さんの参加型展示。

去年は白い紙を蛇腹に折ってつなげる有機的な展示だったが、今回は来た人が絵馬を描いて吊るす、コミュニケーションを感じる展示だった。

私が行ったときは車椅子に乗ってらっしゃる高齢のご婦人がホームのスタッフの方と話しながら絵馬に絵を描いていた。

真ん中のテーブルには幼稚園児位の男の子が一人、不思議なマークのように漢字をアレンジした絵文字を描いていた。会という字を横に3つ繋げて山の遠景のようにも見えて楽しかった。

少年は出来上がった絵馬を吊るして、畳に肩肘ついて寝転んで上を見上げ、ひと仕事終えた余韻をたのしんでいた。

加藤さんの作品は、老人ホームという特別な場所に、家族が居間に何かのイベントで飾り付けをしたような家庭的な雰囲気を作り出し、特別な場所だと思っていたのは「私」だったのだと気付かせてくれた。

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稲刈り

雨の日曜日、道路沿いの小さな田んぼで稲刈り。

049_3 

隣の道路が工事中で慌しい中、合羽を着た数人で稲を刈り、藁でまとめる。

脱穀その他、大事でたいへんな作業を近所の農家、近藤農産にお願いしているので続けることができている。

本当にお米って一人で作ることが出来ないなあ。

っていうか一人の人間を作るのだって一人じゃ作れない。

一人って何?

頭がすらすら回らないので、ゆっくり考えよう。

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ごはんつぶ利用法

Dsc_13222006個展ハートフィールド

服にご飯粒がついたままにしておくと、固まってきらきらビーズのようになっていませんか?

最初は和紙に出会い、和紙を知る中で飯糊(いいこ)に気が付きました。2004年頃。日本人は米を主食としてだけでなく環境に使って来たんだー・・・ってところから、米の定義、歴史、利用法を調べていきました。

すると、頭が悪いからか?一方では調べながら右脳で妄想が始まるのです。

頭の中で稲を植えて、稲を刈って、脱穀して、米を炊いて、鍋で煮て、糊を作って、形を作って、乾かして、おー!?この透明なせんべい固ってーっとか。大事なことは頭に入らないけど、自分的には幸せな時間。まあ、アホだな自分。

で、ごはんつぶを糸に繋げて天井に吊るす。

ご飯粒は接着剤なので、糸に接着剤のカタマリを点のようにつけた感じです。

白米は透明な白、玄米は飴色、赤米や黒米は元の色とあまり変わりません。表皮が堅いからですかね。

糸は化繊ではいけません。絹や木綿はたんぱく質同士なのでよくくっつくんですね。

本日残ってしまったごはん、なるべくきちんと全部食べなきゃと思っても、残っちゃうときがある。もしかして、コンビニの残飯集めて作ったら、バカラのシャンデリア位綺麗かも。

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小学館 20世紀少年少女世界の名作文学

空で思い出したこと。

私は小学生の頃、雲を描く画家になりたかった。

午後から夕方の雨上がり、雲の間から射し込む幾筋もの黄金色の光。

夕方の茜雲。

宗教画家じゃん。

今思えば、それは毎日自分で無意識に刷り込んでいたのだった。

小学時代、鍵っ子だった私は、登校拒否ぎみの子供だった。

いや、ずばり登校拒否だった。

いや、私の為に母が県職員をやめていつも家にいるようになり、登校拒否だった頃の私は鍵っ子ではなかった。

ややこしいことはいいのだが、家にいる長い時間、私は小学館からでていた「少年少女世界の名作文学」という分厚い子供向けの名作本を読みふけっていた。

膨大に暇な時間(だと思っていた)、私は三ツ矢サイダーを飲みながら、6~7センチほどの分厚い本を、膝に置いたり、寝転がったりしながら、隅から隅まで読んだ。

ギリシャ神話やアラビアンナイトに妄想し、岩窟王に感動し、怪盗ルパンやシャーロックホームズに胸躍らせ、ああ無情に泣いた。

何十巻もある、ハードカバー本の最初のページには各国の名画がカラー印刷されていて、読む前の儀式として、その絵を毎回じっくり吟味した。

ミケランジェロの「聖家族」や、マネの「笛を吹く少年」を舐めるように見ては解説を読んだ。

なにしろ名作文学本だから、絵画もほとんどいわゆる名画で、マニエリスムやゴシックの天井画もあった。

私もほぼ「フランダースの犬」に出てくるネロ並?に、ルーベンスのファンだったりした訳だ。

そして、あの心奪われる「雲間の光」は、我が家の西の空でも見えることに気がついた。

ということで、このなりきり易い少女は、いつかこのドラマチックな雲や光を描こうと思ってたと思うのだが、この少女は忘れ易い少女でもあったので、いつしかそんなことはすっかり忘れていたんだなあ。

と、空を見て思い出したおばさんであった。

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山へ行った。

昨日の雨の後なので木や葉が元気な感じ。

空も真っ青だ。

井戸杉、右回り螺旋で成長してる。携帯のカメラだとわかりにくいかな。

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毎日降り続く雨。
土曜日、田んぼの様子を見に行った。
明日は草刈りの予定。
雨はどうかな。
秋には収穫出来ますように。

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金沢21世紀と18世紀

夜中に車飛ばして金沢に行った。

お目当ては21世紀美術館のロン・ミュエク展と特別公開の成巽閣・国指定名勝「飛鶴庭」、茶室「清香軒」、「清香書院」。

朝一番に見学に行ったのは、前田家13代当主が母堂(12代奥方)に建てたという、巽御殿と呼ばれていた成巽閣。

なんとか御殿ってよくお店にあるけど、やはり本物は違う。(って感心の仕方が違う)

御殿に入るまでの道のりからして違う。

そもそもあの兼六園がそこん家のお庭だ。

明け方の雨が止んだ後の、兼六園とその中にある成巽閣入り口は、木々の緑全体が水分を含んでいて、息を吸うと肺の中まで透明な緑の空気が流れ込んできた。

一センチで百年分の土だから、一万年分ほどの栄養を吸って何百年生きてきた大きな木々の葉一枚一枚や、丹精こめて地面に這わせた苔の、一本一本が庭に静かに息づいていた。

こんな風に書いてたら、らちあかないんですけど。

なぜこんなディティールばかりかと言うと、今日のテーマがそれだから、なんす。

建物全体は大きいけれど、もっと大きな兼六園の中に溶け込んでいて、屋根も柿葺でそう派手に見えない、いたってシンプルな印象だ。

しかし建物の中は時間のたっぷりある母親が毎日それらを愛でて暮らせるように細部はめちゃくちゃ手が込んだ作りになっている。

13代当主が母親の為に作った家は、一言で言って「愛らしい」。

腰板に描かれた魚や花がとても春らしい上に、一枚ごとに花の数が増えていって、障子を立てる順番がわかるように工夫されていたり、障子にはめ込まれたギヤマン(ガラス)に小さな鳥が描かれていたりと、一見気づかないところにかわいらしさ満載。

今回、拝見できた茶室「清香軒」と「清香書院」は、建物の北側に位置するプライベートな数奇屋の空間。

謁見の間や、柱の無い広々した縁側にある、フォーマルな大きさが全く無い。

天井も低く、板の目も細かく、打ち上げの竹や棒は交互に違うものを使っている。

戸棚の小さな取っ手が、可愛らしい桐の意匠だったり、絹の房が付いているように見えるのは金属の打ち出しで出来ていたり、木の枝に見えるのは黒珊瑚で、その枝に沿うように土壁がそっと複曲面に整えられていたり、いちいちが手の込んだ小さな宇宙。

所縁ある異素材満載、小さくて大きな世界が茶室の醍醐味ではあるけれど、本当にそこは細身で優しく愛らしい細部の集合だった。

細部が凝っていても、加賀の文化と工芸にたっぷり財力を使ったセンス良い前田家が作ったものだから、全体としてまとまっている。

こりゃお母さん喜んだろうなあ。

今回特に印象に残ったのは、茶室の床の間が畳とツラ位置の平らな原叟床に、竹の床柱が立っている様子。

薄暗い(といっても比較的障子が大きくとられているから明るめだが)部屋の、濃い目に磨かれた床板に、明るい色めの竹の床柱が、広い水面にすっと立っているようでとってもきれいだった。(その床柱も下は丸で上に行くにしたがって角竹になる、目立たない懲りよう)

そこに茶室脇の土間が大きく広がり、直接柱が立っていて庇がかかっている土庇(どびさし)は、床の間と相似形で響き合っていた。

その日は戸が立っていなかったので、広い土間は屋外に感じられたが、雪の日などは周りに戸が立ち、川が流れている土間は屋内になる。屋外との境界を2つの方法で仕切るため、そこにある空間は家の中なのか外なのか、どっちでもあるんだった。

お庭は、手水の石にお地蔵様がにっこり彫られていて、奥に座れば、小さく仕立てられた木と周りの大きな木が窓枠にまとまり、庭先に顔をだせば、後ろに兼六園のすんごい木々が母さん守ってるよー、って感じで大きくまとまる。

小さな茶室から外の世界まで入れ子(土庇のおかげで逆入れ子にもなっている)の複雑で楽しめる空間。

そんな複雑で繊細な企みがある書院だが、そこに入っていると、格式というより居心地良く隠居のお母さんが暮らした様子が感じられた。

なんちゃって、素人の妄想でした。

そんなこんなで、18世紀の細部を腹いっぱい堪能して、次に行ったのが金沢21世紀美術館のロン・ミュエク展

作品の実物を見ることが、今回一番の楽しみ。

あらまあ。

こちらも「めくるめくディティール」だった。

・・・・・・・・・・・。

今日の感想。

よく肝に銘じよう。

「神は細部に宿る」って言葉。

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自転車に小鳥

自転車に乗っていると、可愛い小鳥の鳴き声がした。

ぴーぴー。

ぴーぴーぴーぴー。

私のまわりで鳴いている。

耳を澄ましてゆっくり走った。

小鳥もゆっくり鳴いた。

下を向くと、銀色のステンレスにちょっと茶色の錆びが付いたペダルが見えた。

ああ、この中に鳥がいたんだ、っつうか、いなかったんだ。

名前はやっぱりぴーちゃんかな。

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土・どろんこ

2008ncs2m_005_2 INAXライブミュージアムで開催中のモノリス・真下の宇宙ー1cm100年の土のプロフィールという展覧会に行った。

目の前にそびえ立つ山は、土が盛られたのではなく岩石が隆起してできたもので、時間をかけてその一部の表面が土壌になっていきます。地球規模で見ると、土壌は表面にある軟らかな薄皮のようなものです(展覧会解説より)

植物や動物の死骸などが、岩石と混ざって出来たのが土なんだ。

あまりに身近でゆっくり考えたことが無かったけど、私達の身体の表面の皮膚アンド垢みたいなもの。

お肌に個性があるように、土にも色々な色合いや肌合いがあった。

古くなると鉄分が残って茶色になるのだ。古いって何年なんだか?

未熟土というのはまだ土になったばかりのういういしい土、たった1cm出来るのに100年かかるわけで、ほんの1メートル掘ると1万年前の表面になるんだから凄い。

私はミリ単位?数ミリの自分を想像してしまった。

超だだっぴろく広がった自分だった。

ついでに、土でつくるパステル作りの体験をした。

2008ncs2m_042 普通は子供達が体験するんだって、担当のお姉さんが教えてくれたが、これが結構楽しくて、パステル乾かす間に泥絵も描かせてくれるので、私は即、大きな子供へ。

このミュージアムはINAXの焼き物の周辺についてのミュージアムで、タイルの博物館や昔の絵付けトイレなど美しい展示もあり、楽しめる。

土ってなかなか土だった。

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ごはんつぶ

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